2009年7月24日
士族の解体
江戸時代までの武士階級は戦闘に参加する義務を負う一方、主君より世襲の俸禄(家禄)を受け、名字帯刀などの身分的特権を持っていた。こうした旧来の特権は、明治政府が行う四民平等政策や、近代化政策を行うにあたって障害となっていた。1869年(明治2年)の版籍奉還で士族は政府に属することとなり、士族への秩禄支給は大きな財政負担となっており、国民軍の創設などにおいても封建的特権意識が弊害となっていたため、士族身分の解体は政治課題であった。
1873年(明治6年)には徴兵制の施行により国民皆兵を定め、1876年(明治9年)には廃刀令が実施された。家禄制度の撤廃である秩禄処分も段階的に行われた。士族や富裕商人、富裕農民だけではなく、身分を問わず苗字を付けることが認められ(国民皆姓)、異なる身分・職業間の結婚も認められるようになった。
士族身分の解体により大量の失業者が発生した。政府や諸官庁に勤めたり、軍人、教員などになる者もいたが、職がなく困窮する例も多く、慣れない商売に手を出して失敗すると「士族の商法」と揶揄されることもあった。政府による救済措置として、士族を職につかせる士族授産が行われたが、北海道への屯田兵移住などを除き、うまくいかない例が多かった。西郷隆盛が唱えた征韓論には失業士族の救済、という側面もあったが、西郷は政争に敗れ下野する。廃刀令以降、1877年(明治10年)の薩摩士族の反乱である西南戦争まで、各地で新政府の政策に不平を唱える士族反乱が起こった。また、初期の自由民権運動は不平士族が中心になっていた(士族民権ともいわれる)。
履歴書や『紳士録』の類には士族という記載が残り(「○○県士族」)、幾分か名誉的な意味は持ち、家柄を誇る風潮も残った。墓石に「○○県士族 何某之墓」と彫った例も多い。戸籍の族籍記載は1914年(大正3年)に撤廃され、第二次世界大戦後の戸籍法改正で表記しないことに定まったが原本には残っていたため、1975年(昭和50年)頃までは旧戸籍謄本を取得した場合には「士族」と明記されていた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
士族はこのような歴史があったのですね。勉強になりました。
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